サイドバーを表示する

22年12月29日


江戸時代までは、1日を12の刻限に分け、子の刻、丑の刻…としていましたよね。

24÷12で、1刻は約2時間、子の刻が0時から2時で…って思うでしょ?

あれ、実は1日を「日の出~日の入り」「日の入り~日の出」の2つに分け、さらにそれぞれを6等分して、卯の刻、辰の刻…と干支の動物を割り振っていたんだって。

ん?どーゆーこと?

日本は、赤道直下の「7時日の出7時日の入り」ではないから、季節によって日の出が4時~7時までとバラバラ。夏至と冬至では、昼の長さも全然違う。

だから、「寅の刻」といっても、特定の時刻を指すものではなかったってことw

たとえば、時代劇で盗賊が、

「今夜、丑三つ時に越後屋に忍び込むぞ!」

って待ち合わせしても、賊はいったい、どうやって正確な時刻に待ち合わせたんだろう??

・・・

干支12支からもわかるように、12は時間や暦でおなじみの数字。

これは、お月様の満ち欠けが、1年(地球の公転周期)で12回という、太陰太陽暦から来ていますよね、あきらかに。

面白いエピソードがあります。

昔は、月の満ち欠けの周期は29.5日(公転周期は27日)だから、×12か月で1年354日だった。

しかし、1年は365日であることはわかっている。

これを調整するために、30日÷10日(誤差)=3。で、3年に1か月、うるう年ならぬ、「うるう月」ってのがあったんですw

これはつまり!

現代なら、通常6か月分あるボーナス。

江戸時代にそんなものはねぇ。でも、3年に1度は、1年が13か月だった。

な、なんと、うるう月がある年には、1か月分お給金が増えていた。あれ、なんだか得した気分♡

冷静に考えれば、働いた分だけもらうだけの話w

ま、あくまでも年収ベースで考えると「増収だった」というつまらないオチでしたww

・・・

暦は、太陽系における地球と月の運行法則に基づいて、算出されています。

昔は、カトリック思想に基づく天動説が支配的でしたから、「太陽が地球の周りをまわる」という観点でした。

これが、

「地球が太陽の周りを回る」

という地動説に基づいて観測されるようになったのは、ニュートンが万有引力の法則を発見した、わずか300年くらい前のことのようです。

古代ギリシャ時代に提唱された地動説は、15世紀のポーランドから勃興し始めます。

その後、コペルニクスと活版印刷の登場により、広く知識として普及していきます。

それが科学的に証明されるには、ケプラーやガリレオを経て、さらに17世紀後半のニュートン登場まで待たねばなりませんでした。

その、地動説勃興期のポーランドにおいて、地動説=科学的真理の探究に命を賭した人々の姿を描いた

「チ。地球の運動について」

という科学漫画が、この冬、素晴らしく熱かった。全9巻のオトナ買いしてもうた。

うーむ。まさに現代版「ロウソクの科学」。

中世欧州的な多少の残酷描写に耐えうる、小5以上におすすめ。

そんなわけで、お父さんお母さん。

星州ご帰還の際は、スーツケースにはお米ではなく、ぜひ「チ。地球の運動について」を詰め込んでみてください。

それは、好奇心の開花。科学へのいざない。未来への扉。