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2021年9月29日

 

味噌の原形は、保存食用の塩漬けといわれている。

古代中国ではそれを「醤(じゃん)」と呼んだが、まだ発酵食品ではなかった。

日本では、大豆を塩漬けにした痕跡が縄文時代の遺跡から見つかっており、どうやらこれが味噌の原形らしい。

日本人はBC10世紀以前からすでに大豆を食べていたが、自然に存在する麹菌(正体はカビ)のおかげで、偶然にも発酵が進んだペースト状の味噌っぽいものは、あったかもしれない。

文献に出てくる麹菌を使った発酵技術、これは中国で確立した。さすが中国4000年の歴史。

卑弥呼のあとの古墳時代に、それは日本に伝来した。

黄河流域は麦が主流の麺や面包文化であるため、最初は麦麹として伝えられたのだろう。日本は米文化だから、麹菌は米に定着させたのだ。

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味噌のスピンオフこと醤油が使われ始めたのはずっと遅く、鎌倉時代のこと。

味噌を発酵させていく過程で、黒い上澄みがたまっていく。それをくみ上げて調味料として使った僧侶がいたのだが、和歌山県湯浅の某寺がその発祥といわれる。

大豆と小麦を蒸し、そこに米麹と塩水を混ぜて1年以上発酵させ、現在の形の醤油として流通させるようになったのは、江戸時代に入ってから。

大豆と小麦ではなく、魚を発酵させる魚醤は、縄文時代から作っていたのだそうだ。これも保存食を作る過程での発見だった。

魚を塩漬し、発酵させると液体化してくるが、その液体を調味料として使う。

魚醤はベトナムなど東南アジアではおなじみだそうであるが、日本にもある。

たとえば、稲造の地元である秋田に、「ハタハタ」という絶滅危惧種の県魚がいる。これを米麹と塩で発酵させて作る「しょっつる」という魚醤がある。

うす~い茶色で、濃厚な旨味の薄口麺つゆみたいな感じ...だったと思うが、冬の秋田でよく食べる鍋料理のダシ汁だ。

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今は三陸沖が日本最大の漁場であるが、もっと寒くて海水温も低かった江戸期は、銚子沖が日本最大漁場であった。

千葉の銚子は漁港として栄える一方、同時に魚醤作りも大変盛んだったという。

銚子には茨城からの小麦と大豆も集まった。だから、ヤマサ醤油などの勃興で醤油づくりでも栄えた。

魚や醤油を、利根川水運を利用して江戸に流通させたというから、銚子の活気はいかばかりだったろうか。

ちなみに、ヤマサの創業者は、醤油の発祥地である和歌山は湯浅からの移住者。醤油選びの参考にされたし(どう参考にするんだw)

発酵食品はすげぇ面白い。面白すぎる。なにせ作っていると、「育てている」という、たまごっち的な感覚が芽生える。見事にハマる。

その歴史を調べても面白い。発酵食品は縄文期から続く日本の食文化そのものであり、中国まで含めて、それを食べてきた人間たちの大河ロマンを感じるからだ。

弥生時代に稲作が列島全土に広がった時、味噌の原形は、すでに日本に存在していた。

つまり、米を美味しく食べるうまみ溢れるしょっぱい下地があったからこそ、稲作が瞬く間に普及したのではないか?

お米があんたで、あたいはお味噌。あんたとあたいは数え歌。

もし味噌や醤油がなかったのなら、ごはんもおいしくねぇだろうなぁ...って思いません?