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稲作と日本のルーツ

2013/12/10

 米を扱う仕事を始めるにあたって、稲作のルーツに興味を持った。

 

 それは日本人のルーツをたどることであって、国家の成り立ちを考えることとほぼ同じ意味であることがわかった。

 

 稲の世界的起源は遡ること太古の昔、現在のタイ・中国国境付近らしい。正確な位置は不明であるが、そのへんでもっとも古い稲の化石が見つかったのだそうだ。これが西へと伝播し、最初は長江下流域において、稲作が始まった。

 

 一方、稲作により定住文化が発展し始めたのは紀元前5000年頃というから、黄河文明の夏王朝の時代。農耕により、持つものと持たざるもの、つまり貧富の差が生まれ、持つものがやがて権力を持ち、豪族、そして王となり、国家が形成されていった。

 

 中国は7000年も前にこれが始まったのであるが、日本でこれが始まったのは弥生時代に入ってからだから、たかだか2500年前。卑弥呼の時代のちょっと前に、九州では各部族が邑や国を形成し、中国に使者を送って「倭王」として認めてもらおうとしていたのは、教科書にも出てくるとおり。

 

 そもそも、稲作は中国の上海付近から海を越えて熊本か宮崎あたりに伝来したか、または朝鮮半島経由で北九州に伝わったそうだ。東南アジアから台湾を経て、宮崎あたりにやってきたという説もある。

 

 どれにしろ、そのような形で、日本に稲作と、そして貧富の差、権力の有無、つまり国家形成の根本が伝わったようだ。

 

 誰が伝えたか、ということが重要になる。

 

 弥生時代開始当時、中国は始皇帝が中国を統一した頃と重なる。各王朝の王族はどこかに逃亡したはずで、行き着く先は、南方はベトナム方面、西方は海を越えて九州、北方は中国東北部から韓国にかけて、そしてその向こうの北九州や出雲だった可能性は、極めて高い。

 

 新発見された大陸は、アメリカもそうであるが、故国で虐げられたがゆえに、チャンスを求めてわたってきたという人々の国になる。それがアメリカならインディアン、豪州ならアボリジニ、ニュージーランドならマオリを虐殺し、新たな支配者として君臨したのである。

 

 日本でも、2500年から2000年ほど前に、そのようなことがあったようだ。

 

 また、新石器時代の縄文人と、稲作時代の弥生人では、顔立ちも使われていた言語も異なっていたというのは周知の事実。弥生人は縄文人より背が高く、顔も扁平である。そのように出来た日本人は、大陸系と縄文人の混血によって形成されたようだ。

 

 筆者は過去に3.5年ほどNZに滞在していたが、NZでは土着のポリネシア系マオリ族と英国系欧州人が交じり合うことで、新種のNZ人が生まれた。それとよく似ている。

 

 縄文人は、奈良時代や平安時代には蝦夷(エミシ)と呼ばれた狩猟民族であるが、縄文人なのであるから、もともとは日本全国いたるところにいたはずであった。それが、渡来人と、そして渡来人と縄文人の混血によって、日本の端っこに追いやられた。

 

 その証拠に、北海道のアイヌと沖縄に古くからいた人々に、遺伝的な類似性が見られるそうだ。